いきなりおしゃべりできますか?
出会い頭の事故?
ボールユーザー同士の交流がジワジワと始まっています。
でも、どうやらその発端の多くは「誤操作」らしく。つまり、ダイレクトトークで間違って操作した結果、意図せずしてチャットグループに入ってた。そういう感じみたいです。
さて、この記事がすごく面白かったんですけど、要するに「使いやす過ぎるのは考えものだ!」ってことですね。ある種の使いづらさがユーザーのフィルタリングにもなるから、ターゲットユーザー以外のふるい落としにも使えるんだってことですね。
確かに多くの場合、ユーザーは開発者の思った通りに振る舞ってくれるとは限らないし、そもそもターゲット層によって使いやすさの基準、判り易さのベースが違いますね(ユーザーリテラシーって、年齢や地域に応じて大きく変わりますよね)。
究極、新しいアプリ体験性って多かれ少なかれ新しい価値の提案だから、その機能の指し示す感覚や経験って最初は誰も想像できません。ですからその使い勝手は常にハードルになります。でも、判りやすいことだけが必ずしも絶対的な価値軸じゃないんだよ。っていうのは、僕にとって新しい気付きでした。
で、最初の「ダイレクトトークでの誤動作(間違ってチャットグループに入ってしまうこと」なのですけど、もちろん誤動作を誘おうとしてインターフェイスのデザインをしている訳じゃないんですよ。
でも、それでたまたま偶然の出会いがあって、そこで新しい交流(ボールの場合はグループでの声のチャットです)が生まれるのであれば、それは決して悪い事ばかりじゃない気もしますね。
空に向かって喋る。
さて、話は変わりますが、ボールの使われ方に大きく二通りあるなあと感じています。
一つは「友達同士で無駄話をするような使い方」ともう一つは「一人淡々と呟くような使い方」です。ボールとしては前者(グループでワイワイ喋る)をずっと押しているのですけど、後者が案外楽しいですよね。そこで真面目に理由を考えたんですけど、これって、要するに聞いてる側が感情移入しやすいんじゃないか?と。
つまり、喋っている側に対して自分もシンメトリーに一人なので、一対一でコミュニケーションしている気分になりやすいんだなあと思ったんですよ。確かに誰かの会話に入っていくのは大変ですからね!
でもその一方で、一人黙々としゃべり続けている人って現実の生活空間にいたらもうかなりヤバイっていうか、ちょっと問題ありそうな恐怖感すらあるじゃないですか?
なので、これは結論めいたお話じゃないのですけど、一人淡々と喋るのを聴くのは案外楽しい。けど、それを現実生活に当てはめて考えると、実は相当奇妙なコミュニケーションなんだなあってことです。
でも、まぁ電話って「電話を知らない世界の人」からすると、相当変ですよね。それこそ「虚空に向かって延々真面目に喋っている」ワケですからね!
ボールにとってどっちが本命なのか?は、正直まだ分からないです。が、一人話し続けるパターンも、それはそれで結構面白いなあって思い始めてます。