なぜベイビーを作っているのか?
ベイビー、なぜ作ってるの?という話をするとき必ず触れる二つの大きなアイデアがあります。一つ目はアイデアというより前提条件(ビジョン)のようなものです。
そして二つ目は、そのビジョンをカタチにすると、きっとこういうモノになるだろう!と、いうイメージです。
一つ目は「きっと人は誰とでも分かり合えるし、助け合える」という概念です。これはセカイカメラ以降、ずっと抱き続けている理想像でもあります。
そして二つ目はそれをカタチにしたもの。「電話の再発明」とも言える、プロダクトとしての理想形です。
ベイビーとは、人がお互いに分かり合えることをより促進できる、新しいタイプの電話と言えるかもしれません。
まず、コミュニケーション製品を手掛ける面白さ、可能性、将来的な展開性にリミットはありません。それはコミュニケーションが人の社会的な営み、行動の多くを「支援」するだけではなく。多くの場合、それを「規定」する役割を果たしてきたと言えるからです。コミュニケーション製品を更新することは、人間の社会的な振る舞いを変化させることを意味します。
「電話」は人の社会生活を飛躍的に変えましたし、そもそも「言葉」の発明、「本」の発明、「新聞」の発明、「ラジオやテレビ」の発明など、コミュニケーションに関するイノベーションは、人の社会生活を強く、大きく、継続的に変革し続けてきました。
そしてその最も直近のイノベーションがパーソナルコンピュータであり、インターネットであり、今後はおそらくVRやAR、またはロボティクスなどがその役割を果たすでしょう。それらはコミュニケーション領域及びその隣接領域に於いて、ますます人の社会生活に著しい変化をもたらし続けると思います。
その中、僕自身が「声」に注目するのは、テキスト→画像→動画という流れで大きく変容してきたソーシャルコミュニケーションの次のジェネレーションを考えた時、声による「繋がり」の力や「理解・協力」を促進する力が大きく寄与できるだろうし、そこに大きな空白の領域があると考えたからです。
「電話の再発明」というアイデアには様々な捉え方と、ベクトルがあります。
特に僕が惹かれるのは「電話帳の抹殺」というイメージです。
例えばフェイスブックは巨大な地球規模の電話帳だとも言えます。グローバルにクラウド化されたアドレス帳、それがフェイスブックです。
ですが、その関係性によるアクセス領域というのは地球規模に及んだとはいえ、まだまだ非常に物足りなさを感じます。
そう、人は、日々もっと多くの多種多様な関係性によってお互いが知り合ったり分かり合ったり、助け合っています。
例えば通りすがりの人同士でも挨拶を交わしたり、ちょっとしたことで手助けしあったりすることはありますし、お店で何か物を買うとか、バスや電車に乗るとか、都市生活一つ考えてもソーシャルに緊密な関係以外のコミュニケーション機会は実は凄く多いのです。そのような、動的な人のつながり(ネットワーキング)と、新しいコミュニケーション方法が同時に発明できないものか?それは今のソーシャルネットワークの先に横たわった、大きな可能性だと思います。
そして、今の人の出会い方とネットワーキングはまだまだ過去の古い生活スタイルから脱却し切っていません。
我々はソーシャルネットワークの繋がりの発見について、インターネットが当たり前になる以前の状態にまだまだ縛られています。
アドレス帳が未だに意味を持ち続けているのは、そういうことです。固定的な人間関係に縛られていた、旧世代の遺物とも言えます。特に連絡先を意識せずとも、必要な人と知り合い、必要なことを話し合える。そういう世界が今なら考えられそうです。
そう言った(現状の)制約や限界を考えた時「声」というコミュニケーションの原初的な媒体の持つ可能性、または、それを通じた、人と人の間の関係性の発見と維持という領域に、非常に大きな可能性を感じています。
ベイビーという、「声」によるコミュニケーションサービスをやっていることについて、そういった問題意識の解決や、将来的な発展性があると考えているのです。