ダベりますか?

takahito iguchi
5 min readAug 19, 2019

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おしゃべりのストリーミングは新しい声のソーシャルになるだろうか?

ダベリングという言葉が自然にユーザーの皆さんから生まれつつある。

自分が開発中のアプリが日々の習慣になっているというのは、まあ当たり前のことだろう。

毎朝 人々の交わす暖かい雑談に耳を澄ます。もし時間があって気分が ノッていれば、その会話の輪に入る。または自分でもおしゃべりを配信する(そこに参加してくれる人がいれば、その場でお招きして語り合う…)。

おしゃべりは本来「配信」するものじゃない。

それは基本中の良い同士、または関係先とのプライベートな行為であって誰彼なく聞かせるものではない。それは Skype や Zoom または Messanger や LINE 等でも同じで おしゃべりとは本来 純粋な「コミュニケーション」なのだ。

ところが、この 5/25 以降 開発しているダベルでは 35,000回も誰かのおしゃべりに誰かが参加し、一緒に喋っ合ったり、そのおしゃべりに耳を澄ましたり、その内容にコメントしたりしているのだ。

自分が開発しているアプリとは言え、毎日多種多様な地域も国境も越えたおしゃべりを楽しめることがこんな直ぐ実現するとは思っていなかった。が、今、それが非常に自然に起こっている。

ダベルとは日本語の「ダベる」が語源の 音声での人と人のおしゃべりを生配信できるアプリだ。

しかも、その内容は自動的に録音されて Podcastのように保存・再生・共有することも出来る…。

ダベルでは、おしゃべりというコミュニケーションをライブストリーミングできる。

そのことを通じてユーザー同士は新しい仲間を発見できる。そしてダベルでの出会いは多くの場合 偶然の新しい出会いだ。

多くのソーシャルアプリがコンタクトリストやフレンドリスト等既に存在している関係先とのコンタクト維持やアップデート共有を主たる利用目的としている一方、ダベルでは新しい友人と遭遇して、おしゃべりで仲良くなるという繋がりを主眼にしている。

今回プロダクトハントではリスナーも同時参加できるソーシャルなラジオとして紹介されていたのだけど、ソーシャルラジオという括りだけでは、ダベルの醍醐味は紹介しきれない。

なぜかと言うとそこでのおしゃべりはラジオ番組的なヨソヨソしさや配信者と聴き手の距離感があまり無く、むしろ至近距離かつフラットな立場での語り合いの体験こそがダベルの楽しさだからだ。

対話可能なラジオというのも決して間違っていないのだが、放送することの出来る電話という言い方も可能だ。

これは体験しないとなかなか伝わりづらい価値観だ。誰もがきっとそれを難しいと最初感じるだろう。だいたい知らない誰かと、いきなり楽しく語り合えるものだろうか?

だが、しかし、ダベルではかなり自然にそれが発生していて、しかも毎月毎月エンゲージメントが 5 min. ほど着々と伸びているので、その体験価値を多くのユーザーの方々が直感し、味わって楽しんでくださっている。

それはきっと確かなことだ。

非同期にテキストを交換する。あるいは非同期に画像や映像を共有するのが、従来のソーシャルアプリの基本スタイルだ。同時に生声で語り合う。しかもパブリックスペースで。

そんなことは誰もやらないだろう?それがこのダベルを開発した時点での周囲の誰もが有していた予測であり、確実な予想だったのだ。

が、それはどんどん覆されていきつつあり、それを楽しむ人たちは毎日凄い勢いで増えていっている。

その理由や根拠は僕なりに仮説としてあるのだけど、それが当たっているのかどうか?はよく分からない...。

ただ、効率的で生産性の高いソーシャルの味気なさや、空虚さというものは日頃感じないでも無い。

満たされない気分はきっとどこか虚空を彷徨って、LIKEの応酬やコメントのやりとりは延々永久に終わらないような気持ちになることもある。

おしゃべりしてみたいと言う気分は僕の場合は朝あるいは深夜だ。しかもそれをちゃんと耳を澄まして聴いてくれる人がいることが大前提だ...。

さぁ、あなたにとってダベルは、素敵なおしゃべり空間であるだろうか?

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Written by takahito iguchi

Tonchidot & Telepathy & DOKI DOKI!!

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