ハードウェアこそ、新しいアプリケーションだ。
Snap社が誕生した。そして、SnapChat が遂にサングラス型のカメラになる。
これは最高の戦略的進化だと思う。既にある、強力なユーザーエンゲージメントをデバイス化する。それは体験性の向上と、体験領域の拡大をもたらすだろう。
ただし、このデバイスは拡張現実(AR=Augmented Reality)とは全く縁もゆかりもない。そういう意味では、グーグルクラスと比べるのは間違っている。
が、一方で、スタートアップが製品戦略の底上げとして強力に存在している(消える画像のシェア)ユーザーエンゲージメントを、デバイスとして押し拡げるという方法と考えてみれば非常に似通っている。
サーチをする対象及び環境を"実空間の実物"に広げる!そう考えれば、本来グーグルグラスはグーグルの真骨頂だった。
が、製品パッケージとしては未遂に終わってしまった。要するに、見えるものをサーチして表示するという体験サイクルが、グーグルサーチの本来持っているエンゲージメントレベルを下回ってしまった。
逆にSnapchatの場合は、それを上回るエンゲージを実現できる可能性が有る。要するにサングラスで動画を撮影して友人と共有する体験性が、従来のスマホアプリの使い勝手を超える可能性が有る。
そうすればスマホ内の領域獲得競争の戦いは(スマホアプリのマーケットは既に頭打ちだ)、むしろウェアされた現実空間デバイスの戦いの領域に押し上げられるだろう。
アマゾンはエコーを使って、リビングルームと「声」という新しいユーザーエンゲージメントを実現し、市場化してしまった。マイクとスピーカーが新たな情報提供サービスの実現方法としてデバイス化されたのだ。
そして、エコーにしろ、もしかするとスナチャグラスにしろ、どこか似通っているのは、サイドプロジェクト的ないい加減さの中にこそある、イノベーションの種だ。
スマホなど本流に位置するものはアイデアが固定的直線的になりがちなので、声のコンピューティングを可能にするスマートスピーカーや、その場で動画を撮影共有できるサングラスといった、一見ジョーク製品のようなものが生まれづらい。
シリコンバレーは新たなデバイスの時代を迎えている。
それはアプリケーションのデバイス化を通じた新たな体験領域、ユーザーエンゲージメントの発見と開拓だ。
そして、日本は本来、非常に優秀なデバイス開発能力をその内部に秘めながら、この新しいフロンティア開拓競争に全く乗り遅れている。
それはグローバルな情報ネットワーク(グーグルサーチのページランクや、フェイスブックのソーシャルグラフなどに類するもの)を有さないこと。
そしてソフトウェアが世界を食っていくという(マーク・アンドリーセンの常套句)世界観を持たず、相変わらず20世紀式ハードウェアビジネスしか構想しえない、構想力のなさに起因するのだと思う。デジタル情報のストリーム、つまりビッグデータを有することと、ソフトウェア主体のエコシステムを有すること、それらが今後ハードウェアビジネスを手がける上での必須条件だ。
日本に視点を移すなら、本来有しているモノづくりのアセットを考えると全くもったいないと言えるし、後代の学者は、なぜそれを日本の起業家ができなかったのか(ハードウェアの発明が、ある時代から激減していること)?きっと不思議がるだろう。
スナチャグラスが可能性を有しているのは日々のエンゲージのあるアプリケーションと、その情報データの流れが膨大に存在しているからだ。
それが無いまま、すなわちユーザーデータやユーザーエンゲージメントが存在しないままのデバイス開発には、全く意味がない。