ボールが創るカフェ空間の価値の本質
ドキドキにとっての最大の課題は「人の孤独感と向き合う」ことで、それは最初からずっと変わっていません。
人は基本的に生まれてから死ぬまで孤独を抱えて生き続けます。
そして基本的には、人がソサエティを作り出し、ネットワークし、コミュニケートし、共に何かを成そうとしてプロジェクトを起こすのはその孤独が原因であり、原動力であり、(孤独を解消しようという意味合いでは)目的でもあります。
人が根本的に孤立し、孤独を抱え、その(個人と個人の間の)境界線の中で孤独を叫び続けることが、ある意味では社会の変革の大きな力となっていること。それは「死が人生のチェンジエージェントである」という表現と同じような強さと深さを持っていると思います。
ドキドキが、今ボールというアプリケーションを持って「孤独と向き合う」ことにより、「声を発すること」と「声に耳を傾ける」システムを通じ「人と人との境界線を乗り越えられるきっかけや可能性を、より自然により多く起こせるのではないか?」と言う仮説を追求しているからです。
常に声を通じ繋がり合える、通じ合える、分かり合える(かもしれない)可能性は、すでに繋がっている同志の強い紐帯を可視化し維持できるシステム(Facebook)や、何かを調べたり、それを知ろうとする同志の関心の繋がりを検索して結び付けられるシステム(Google)や、何かを売ったり買ったりする同志のシーズ&ニーズをより効率的に結び付け成立させようとするシステム(Amazon)などと比べても十分に大きな社会的価値とエコシステムの規模を持っていると構想しています。
それはカフェの空間が人と人が日常交われるだけでなく、そこで聞こえてくる喧騒が心地よかったり、場合によってはそこにジャンプインして新たに交わることも可能だったりというオープンな空間を提供していること。
そして、それは近代以降のソサエティが勝ち得た、自由さとその交流が多くの新しい発見や発明を生み出し得る可能性の集合体だった(WeWorkがあれだけの大きな評価額を得ていることにも顕著に垣間見えますね)ことをイメージしているからです。
カフェでの創造的な出会いと語り合いが、近代以降の新聞メディアや、株式会社ビジネスや、保険システムなどの発明の孵化器だったこと及び関係性の新規開拓という未だ衰えないネットワーキングの現場であり続けていることを持って「声のソーシャル」の可能性を構想するのです(イノベーションは、常に異なる社会階層や異文化とのミックスから生まれて来ていますが、シリコンバレーはその非常に分かりやすい成功例であり続けました。シリコンバレーは同時にカフェ文化の盛んなところでもあります)
声を発する、それが聞こえる、そのオープンなカフェ的空間をオンラインネットワークに構成し、楽しんでもらうこと。それをカフェ空間が持つ感覚や体験としていつでも、どこでも自在に楽しめる製品。「ボール」を通じ具現化しようと我々は現在チャレンジしています。
それが、やがて、人の抱える孤独感や孤立を幾らかでも緩和し、人がより自由闊達に、人と創造的なやり取りを通じて、それ以前よりずっと容易に自然にその人の持つ固有の創造性の発露と実現に役立ちたい。
そして、それが俯瞰的な視点で見たときの「ボール」の位置付けであり、ドキドキのやるべきことだと考えています。
創造性とコミュニケーションの接点(声による共有空間の創造)にとてもワクワクしています。