人との出会い方の再発明。
ミーティングそのものの大きな変革を考えたこと...。
オースティンはもう金曜午後四時。
サウスバイキャンセル後オースティンでどうしようか凄く悩んでいたのでカフェの隣の席のエンジニア(コードを書いていたのでソフトウェアエンジニアと判った)のアンソニーに直接質問しました...(彼はたまたま隣にいただけです、知り合いではありません念のため)。
「ファンドレイズイベントやりにSXSWに向け準備していたのだけど残念ながらサウスバイがキャンセルされたのでどういう切り替えが可能か、アイデア教えて!」...
「だったら、ここに行くといいよ!後はサウスバイのHQにアクセスすれば色々サポートしてくれると思うよ!」…彼は自分自身プロダクトガイでビジネスパーソンじゃあないから余りアイデアが無いけど、と言いながらも、直ぐに幾つかのアドバイスをしてくれました。
ありがたい!
そう、そう、この感じ!
見ず知らずでも、困ったら、即その場で、何か手助けし合える様な関係。
ダベルアプリで最初とにかく「孤独を感じた時に即誰かとおしゃべり出来る」体験価値は、そのまま「知り合いであろうが無かろうが、困ったらお互いが相談したり、知恵を出し合ったりして相互扶助ができる」システムの可能性を指し示していました。
今はコロナウイルスの猛威の結果としてあれほど日本では普及しなかったテレワーク(Work from home)が俄然着目され、非常な勢いで普及し始めています。
その勢いでSlackとかMS TeamsとかGitHubとかDropBoxとか、オンラインで情報共有や意思決定やアクティビティの管理できるサービスがどんどん広がるのでは無いでしょうか?
ペイトリオンやハウスパーティなどが改めて注目を浴びている記事など、既に信頼関係の高め方やその伝え方が変わる兆候を感じさせる出来事も徐々に起こっています。そしてそれらは"パッションエコノミー"として米国での大きなマーケットに育ちつつあります。
そこで直ぐに思ったこと。新しい出会い方の発明について。
濃厚接触や集団で接触感染(クラスターの発生)することを避ける、このトレンドがますます加速するとなればそもそも対面で対話しない限り友好関係を構築しづらい、
それこそ今迄数千年以上の人類の根強い習慣ですら、そろそろ変化の兆しなのでは無いか?
それって、つまりダベルがイメージしていた「知らない同士でも即仲良くなれて、相互の協力を可能にするツール」のニーズが明確にあるってことじゃ無いか?
孤独の解消という大テーマをより積極的に推し進めると、自然と、直接の対面や対話がなくってもお互いが仲良くなれるツールの具現化実用化に進められます。
それは例え遠隔でも、既知の繋がりがなくてもお互い助け合える、非常に良いツールのように思います。自宅隔離のような状態が、実は引きこもり状態ではなく、遠隔でも出会える強力でスケーラブルな関係に発展できそうです。
実はこのアイデアは、ずっとインベスター向けの製品紹介時に語っていたビジョンなのですが、あんまりウケが良いとは言えませんでした。
「そんな必要は無いよね。だって実際に会えばいいじゃない?そもそも、そんないきなり信頼関係構築するニーズのある人なんていないでしょ!」
でも、昨日まさに欧州からのビジターを全面的に拒絶したアメリカでも、本当に必要とされるソリューションなのではないか?と思いました。
出会わなくても出会えるのか?それが問題だ!
一般的に人と人が触れ合い信頼関係を醸造し新しい関係(特にビジネス)を始めるのには「直接会って語り合う」ことが不可欠でした。
が、今後はそれは容易ではなくなる。少なくともWork From Homeなどの遠隔でのビジネスが当たり前になってしまうと(オフィスだけでなく公的機関や学校、大学などもどんどん遠隔に切り替わって行くでしょう)なかなかもう昔のやり方...。つまり全員が同じ場所で顔を突き合わせ、直接語り合うことを前提にした社会は変わらざるを得ないでしょう...。
ここオースティンでも公立学校だけでなく、あのテキサス大すら遠隔方式に切り変わった様です。
実は自分ですら、ダベル開発時に気づいた遠隔でも直接対面で会った時と同様の親密さや信頼関係を構築できる可能性について、ここまでリアルにニーズが浮かび上がってくる瞬間を予想していなかったので、まだ、自分自身頭を切り替え切れてはいません。
でも、この新型ウイルスのもたらす影響は、やがてそういうコンセプトを本当に必要とするレベルまで社会を変えざるを得ないのではないか?と思い始めています...。
とは言え、ここのカフェの雰囲気と味は最高!(笑)
電源とワイファイもあるしね。直接の人の触れ合いが無くなることはもちろん無い。でも、それに囚われない、新しい社会的接点の持ち方が必要になる時が遠からず来る...。或いはそう言う時が来ざるを得ない。そう感じたオースティンの午後なのでした...。